主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。(哀歌3章25節―26節)

1.出エジプト記141節―14
2.ヨシュア記610節―20
3.ヘブル人への手紙317節―411

最初にイエス様に会ったのはマルタで、彼女は喜んでイエス様を家に迎え入れ、もてなしことをまず第一に考えて色々心配して気を使っていましたが、妹のマリヤが手伝わずにイエス様に足もとにすわってみことばに聞き入っていたので、マルタが「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」と主に申し上げると、イエス様は「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」と、何を第一にすべきかを主は教えてくださったのでした(ルカの福音書10章38節―42節)マルタもマリヤとまず一緒に心を静めてみことばに聞き入ってから一緒にもてなせば良かったのではないでしょうか。ヘブル人への手紙4章10節―11節は「神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。ですから、私たちは、この安息に入るように力を尽くして務め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。」と、前方には紅海、後方からエジプト軍が迫って来るのを見て、神の約束に不信感を抱いた民にモーセは「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト軍を永久にみることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。(出エジプト記14章13節―14節)」と言われたのでした。イスラエルの民は私たちが経験したことのない多くの奇蹟を体験していても、神の安息に入ろうとせず、欲に支配されるとみことばよりも自分たちの考えでエジプト、すなわち過去に戻ろうとしたのでした。今日の聖句「主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。」を心に据えて、自分の考えや思い、願いを主に申し上げるだけでなく、主の語りかけを聞くために自分の声を静めて黙し、主を待ち望み、主の安息の中に入るようにするなら、主は思いがけない慰めや助けを与えてくださり、主はいかにいつくしみ深い方であるかを示してくださるのではないでしょうか。主を待ち望んで生きようではありませんか。