あなたのさとしは、とこしえに義です。私に悟りを与えて、私を生かしてください。(詩篇119篇144節)

1.詩篇11997節−99
2.エペソ人への手紙15節―19
3.テモテへの手紙 第二 21節―7

ヘブル人への手紙12章10節が「肉の父親は短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。」と、語っているように、人のさとしは、それが真理かどうかであるよりも、人の言い伝えであったり、自分の考えによるものであったりするために、いつも正しいとは言えないのではないでしょうか。その上、人によってうち出されたさまざまな宗教は自分で悟ることを要求しますが、今日の聖句は「私に悟りを与えて、私を生かしてください。」と、主が私たちに悟りを与えてくださることを語っています。そのことを、イエス様が弟子たちに「このことばを、しっかり耳に入れておきなさい。人の子は、いまに人の手に渡されます。」と言われたにも関わらず、弟子たちが主のことばの意味がを理解することができなかったのは、主のことばの意味がわからないように隠されてあったからでした(ルカの福音書9章44節−45節)。ペテロが主に「あなたがわたしの足を洗うのですか」と申し上げると、イエス様は「今はわからなくてもわかる時がくる」と仰せらたように、悟るかどうかは主の働きによるものであること、悟らせてくださるにも時があることがわかります。イエス様は「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したことを思い起こさせてくださいます。(ヨハネの福音書14章26節)」と仰せられた聖霊は、すべてのキリスト者に与えられました(ヨハネの福音書7章38節―39節)。今日の聖句にある「あなたのさとしは、とこしえに義です。私に悟りを与えて、私を生かしてください。」と、いう祈りを私たちも、日々ささげて、義の道を歩むことができるように、主のさとしであるみことばに生きることができるように、聖霊様に助けていただこうではありませんか。