義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。悪者の道は暗やみのようだ。彼らは何につまずくかを知らない。(箴言4章18節―19節)

1.詩篇21節―12
2.ヨハネの福音書316節―21
3.コリント人への手紙 第二 36節―18

今日の聖句は「義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。悪者の道は暗やみのようだ。彼らは何につまずくかを知らない。」と、「義人の道」と「悪者の道」と道は二つしかないこと、そして「義人の道」を光、「悪者の道」を暗やみ、と語っています。ところで、パウロが「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。(エペソ人への手紙2章1節―2節)」と、主を信じる前は世全体を支配している悪しき者、すなわちサタンの支配下にあったことを語る一方、ローマ人への手紙3章23節―24節が「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」とかたっているように、イエスを信じることによって全生涯の罪が赦され、神の義をいただいて神の子どもとされ(ピリピ人への手紙3章9節、ヨハネの福音書1章12節)、義人の道を歩むことができるのです。イエス様はどんな罪もゆるされるけれども、御霊に逆らう冒涜や聖霊に逆らうことを言う者は、決して赦されないことを語っていますが(マタイの福音書12章31節―32節)、聖霊に逆らう人について使徒の働き7章21節は「かたくなで、心と耳にとに割礼を受けていない人たち、あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。」と語っています。キリスト者には御霊が与えられているだけでなく、主が罪に定められないようにとりなして祈っていてくださることを心にしっかり据えるとともに、「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きです。(コリント人への手紙 第二 3章18節)」と、キリストを信じたとき、やみから救われ、世界の光としてあけぼのの光のような存在になりますが、やみが消えてしまう真昼の光のような存在に、世の光である主と同じ姿に、主が育ててくださることを感謝して生きようではありませんか。