世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。(ヨハネの手紙 第一 55節)

1.ヨハネの福音書1618節―33
2.使徒の働き262節―23
3.コリント人への手紙  第一15章50節ー58節
4.ヨハネの手紙 第一 41節―6

ギリシャ人は知恵を追求しているのに(コリント人への手紙 第一 1章22節)、アテネでシラスとテモテを待っていたパウロは町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じ会堂ではユダヤ人や神を敬うひとたちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちや哲学者たちと論じたのですが、アレオパゴスの議会で話す機会が与えられたので、「神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。神は、そのような無知の時代を見過ごしてこられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」と、死者の復活について話すと、アレオパゴスの裁判官やダマリスという女性など信仰に入った人々がいましたが、あざ笑う者や「このことについては、またいつか聞くことにしよう」というような人たちがいたのですが、その原因をパウロの「私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。(コリント人への手紙 第二 4章3節―4節)」ということばに見ることができるのではないでしょうか。イエス様は、この世の神、すなわち世全体を支配している悪魔の最大の武器である「死」を死からよみがえることによって勝利されたのです。そのイエス様がキリスト者の心に内住しておられるので、今日の聖句は「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」と語っています。「勝ち組」ということばが一時流行りましたが、すべてのキリスト者は本当の意味で「勝ち組」です。ですから、この世に生きている限り、衣食住が必要ですが、パウロが「世と調子を合わせてはいけません。(ローマ人への手紙12章2節)」と勧告しているように、豊かな実を結ぶために、神を知ることができないこの世の知恵やこの世の価値観に惑わされないように(マタイの福音書13章22節)。この世が与えることのできない永遠のいのちが与えられていることを、悪魔に勝利されたイエス様がいつもともにいてくださることを感謝し、偶像崇拝している人々の心の目が開かれますように祈ろうではありませんか。