恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。(イザヤ書41章10節)

1.ヨシュア記11節―9
2.ローマ人への手紙828節―39
3.ペテロの手紙 第一 57節―10

パウロは「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。(ローマ人への手紙8章15節―16節)」と、語っていますが、ことばとといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされ、キリストについてのあかしは確かで、どんな賜物にも欠けるところがなく、熱心に主イエス・キリストの現れを待っている模範的なキリスト者のように見えても、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」と、キリストに生きおるのではなく「私」、すなわち肉に属し、この世の人々と同じように歩んでいるコリントの教会に行った時は、「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによったのではなく、御霊と御力の現れでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。」と、語っているように(コリント人への手紙 第一2章3節―5節)、ヨブ記の1章や2章に見られるように、サタンは神の許された範囲内でしか攻撃できませんが、肉の思いは神に対して反抗するほど強いものなので(ローマ人への手紙8章7節)、この世の人だけでなく、時には自信たっぷりのクリスチャンに会うと、パウロのように弱く、恐れたり、みじめさを思い知らされ、コンプレックスが襲ってくるようなことがあるのではないでしょうか。そんな時、パウロが「あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方の他は、何も知らないことに決心したからです。(コリント人への手紙 第一  2章2節)」と語っているように、私たちのために御子をイエス様を御遣わしくださった神の愛と私たちが受けるべき罰を十字架で受けてくださったイエス様によって実現した恵みを、また、今日の聖句「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」を思い起こし、私たちを強め、助け、守ってくださる主がいつも聖霊なる神として私たちの心に住んでいてくださることを感謝して生きようではありませんか