あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。(ゼパニヤ書3章17節)
1.申命記 30章1節―10節
2.サムエル記 第二 22章17節―20節
3.ルカの福音書15章1節―24節
取税人や罪人たちがみな、イエス様の話を聞こうとして、みもとに近寄って来るのを見たパリサイ人や律法学者たちが「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」とつぶやいたので、イエス様は、彼らに「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」とたとえ話をもって語られました(ルカの福音書15章1節―7節)。イエス様はザアカイに「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあげるから。」と言われたので、ザアカイは急いで降りて来て大喜びでイエス様を迎えたのですが、それを見て、みなが、「あの方は罪人のところに行って客となられた。」と言ってつぶやいたので、ザアカイは主に「主よ。ご覧ください。私の財貨の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取ったものは、四倍にして返します。」と申し上げると、イエス様は「きょう。救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」と仰せられました(ルカの福音書19章5節―10節)。イエス様を信じる前は、悪魔の支配下に置かれ失われた存在でしたが、イエス様を信じたことによって、罪が赦され、聖霊によって新しく生まれ、神の子とされ、今日の聖句が「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」と語っているように、神に喜ばれる存在となったのですが、普段、私たちは神に喜ばれていることをあまり考えずに生きているのではないでしょうか。キリスト者は神の御怒りから完全に解放され、この世が与えることのできない平安を主から与えられる存在であることを思い起こし、パウロのように自分のみじめさに情けなく思うような時、自分がどう思おうと信仰の完成者である主を仰ぎ見て、主に喜ばれている存在であることを喜んで生きようではありませんか。