主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。(イザヤ書40章11節)
1.詩篇23篇1節―6節
2.ヨハネの福音書10章11節―16節
3.ペテロの手紙 第一2章22節―25節
復活されたイエス様はペテロに「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」と尋ねると、ペテロは「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存知です。」と答えると、イエス様は「わたしの小羊を飼いなさい。」と仰せられてから「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」と再び尋ねたのでペテロは「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存知です。」と答えると、「わたしの羊を牧しなさい。」と仰せられてから「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」と三度も尋ねたので、ペテロは心を痛めて「主よ。あなたはいっさいのことをご存知です。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」と答えると、イエス様は「わたしの羊を飼いないさい。」と仰せられたのでした(ヨハネの福音書21章15節―17節)。イエス様は二度目までギリシャ語の「アガパオ(神の愛)」を用いて「愛しますか」と尋ねましたが、三度目は「フィレオ(友情)」を用いたのに対し、ペテロは三度とも「フィレオ」すなわち自己犠牲を伴う神の愛ではないことを告白したのでしたが、イエス様は「わたしの小羊を飼いなさい。」「わたしの羊を牧しなさい。」「わたしの羊を飼いなさい。」と、ペテロは三度イエス様を「知らない」と言っただけでなく、マタイの福音書26章74節に三度目は「のろいをかけて誓い始めた。」とありますが、ペテロに与えた教会の鍵は取り上げられることなく使命は変わらなかったのでした。ところで、今日の聖句は「主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。」と、主は教会の必要を満たして養い守ってくださるだけでなく、「乳を飲ませる羊」すなわち、パウロやアポロのように神の協力者として召されている教職者を主は優しく導かれることを語っています。兄弟姉妹であろうと教職者であろうと主が守り育ててくださることを感謝して生きようではありませんか。