主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。(詩篇37篇4節)

1.サムエル記 第二165節―12
2.ネヘミヤ書81節―12
3.ローマ人への手紙425節―511

息子アブシャロムが王座を狙って謀反を起こしたので、ダビデはエルサレムを去りパフリムまで来ると、サウル家の一族のひとりシムイはダビデとダビデ王のすべての家来たちに向かって石を投げつけただけでなく「出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者。主がサウル家のすべての血をおまえに報いたのだ。サウルに代わって王となったおまえに。主はおまえの息子アブシャロムの手に王位を渡した。今、おまえはわざわいに会うのだ。おまえは血まみれの男だから。」とのろったのですが、ダビデは「シムイの首をはねさせてください。」と言ったアビシャイと彼のすべての家来たちに「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ、ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼にのろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」と、シムイの事実無根のことばに反応せず、かえって主のことを考えたのでした(サムエル記 第二16章5節―12節)。アビシャロムは戦死し、ダビデがエルサレムに戻る途上、シムイは王の前にひれ伏して「わが君。どうか私の咎を罰しないでください。王さまが、エルサレムから出て行かれた日に、このしもべが犯した咎を、思い出さないでください。王さま。心に留めないでください。このしもべは、自分の犯した罪を認めましたから、ご覧のとおり、きょう、ヨセフのすべての家に先立って、王さまを迎えに下ってまいりました。」と、ダビデの願いどおり、主はのろいのことばを謝罪のことばに変えられたのでした。とかく、この世の人は、天地万物を創造された神よりも自分たちの手で造った偶像を拝んでいるために、神を喜ぶという世界を持たず、喜びをこの世のものや人に求めて生きているのではないでしょうか。今日の聖句「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」は、ダビデのことばですが、主がどのような方なのかを知っていないと言えないことばのように思います。人のことばにいちいち反応して肉の思いに走るのではなく、主が真実をご存知であることを、私たちの心を見ておられることを心に留め、ダビデのように主を喜び、主を信頼して生きようではありませんか。