わたしの民よ。わたしに心を留めよ。わたしの国民よ。わたしに耳を傾けよ。おしえはわたしから出、わたしはわたしの公義を定め、国々の民の光とする。(イザヤ書51章4節)
1.イザヤ書42章5節―9節
2.イザヤ書60章1節―3節
3.ルカの福音書2章8節―38節
神から「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と警告を受けていたにも関わらず、善悪の知識の木の実を食べてアダムが罪を犯したことによって、ローマ人への手紙1章20節―23節が「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄を、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」と語っているように心は暗くなり偶像を神とするような生き方をするようになってしまいましたが、すべての人を照らすまことの光(ヨハネの福音書1章8節)として、神を説き明かすために(ヨハネの福音書1章18節)御子イエス様は人としてこの世に遣わされたのでした。今日の聖句は「わたしの民よ。わたしに心を留めよ。わたしの国民よ。わたしに耳を傾けよ。おしえはわたしから出、わたしはわたしの公義を定め、国々の民の光とする。」と、神の民、神の家族とされたキリスト者が、心が暗くなって偶像崇拝をしている人々の知恵や価値観に惑わされることなく、主を心に留め、主の教えに生きるように勧めています。詩篇119篇105節が「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」と語っているように、主の教え、すなわち、みことばの真理に生きるようにしようではありませんか。