さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。(マタイの福音書7章1節―2節)

1.ルカの福音書631節―37
2.ヨハネの福音書81節―16
3.ローマ人への手紙141節―17

イエス様が弟子たちに「わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二部族をさばくのです。シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だから、あなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と仰せられると、ペテロは「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と申し上げたのですが、イエス様が「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と預言されたように三度イエス様と一緒にいたことを否定し、彼は挫折したのですが、その経験は「キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。(ペテロの手紙 第一1章20節―21節)」と、パウロも「私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力に支えられるためでした。(コリント人への手紙 第一2章4節―5節)」と信仰は自分ではなく神にかかっていることを語ったのでした。今日の聖句が「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」と語っているように、お互いの弱さをいたわり合い、お互いに指を差すような生き方をしないように、ヘブル人への手紙12章2節「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」を心に留め、すべてのキリスト者の信仰がなくならないように祈っていてくださる主をほめたたえて生きようではありませんか。