聖書箇所

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまな情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。(ガラテヤ人への手紙5章24節)

<関連聖句>

1.ローマ人への手紙64節―14
2.コリント人への手紙 第二515節―17
3.エペソ人への手紙417節―24

<メッセージ>

パウロは、「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することができないからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行なっています。もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。(ローマ人への手紙7章18節―20節)」と語るとともに「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。(ローマ人への手紙7章25節―8章2節)」と、自分の義に生きていた時には気づかなかった真理、すなわち「キリスト・イエスにある者」は罪に定められることがないことを知るとともに、「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや服従できないのです。(ローマ人への手紙8章6節―7節)」と、ヤコブの手紙1章14節―16節は「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられた、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。」と、みことばを知っていてもみことばに生きられない原因が肉、すなわち自分の思いや考えで生きてしまうことにあることを、罪の支配されてしまう原因が欲や人を欺く情欲(エペソ人への手紙4章22節)にあることを教えています。今日の聖句「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまな情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」を心に据え、肉の思いがむくむくと湧き上がって来る時、主がどれほどのことをしてくださったかを、十字架を見上げ、自分に生きるのではなく主が喜ばれるように生きようではありませんか。