聖書箇所

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネの福音書3章19節)

<関連聖句>

1.ヨハネの福音書638節―40
2.ローマ人への手紙616節―23
3.エペソ人への手紙2章1 節−9節
4.ヨハネの手紙 第一312節―13

<メッセージ>

神はアダムに「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と命じて仰せられましたが(創世記2章16節―17節)、パウロがエペソの教会の聖徒たちにキリストを信じる前の状態について「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。(エペソ人への手紙2章1節―2節)」と語っているように、神が仰せられた「死」は肉体だけでなく、まず霊が死んでしまっていたことを、そして黙示録20章19節が「彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。・・・いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」と語っているように、火と硫黄の池、すなわち、地獄で昼も夜も苦しみ続けながら生き続ける「永遠の死」を意味するものであることがわかります。今日の聖句が「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」と、ローマ人への手紙8章15節―16節が「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって『アバ、父』と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が私たちの霊とともに、あかししてくださいます。」と語っているように、キリスト者は肉体の死は経験しますが、霊的な死や永遠の死からは解放されているのです。この世や人の知恵は、死後の世界について答えを持っていないので、肉体のいのちや肉体を離れても存在し、不滅のものと信じられている魂に関しての研究は心理学によって盛んになされていますが、未だに地球誕生や人類誕生を探索していますが、人類を罪や死から救われた主を求めようとしない状態の中に多くの人は生きておられます。健康管理も大切ですが、永遠のいのちを持っていることを忘れずに、世と調子を合わせて肉体のいのちばかりに心がとらわれないようにしようではありませんか。