聖書箇所

まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。(詩篇1079節)

<関連聖句>

1.詩篇348節―9
2.ヨハネの福音書43節―14
3.ヨハネの福音書632節―35
4.ヤコブの手紙1章12節ー17節

<メッセージ>

ソロモンは「私は心の中で言った。『さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。』しかし、これもまた、なんとむなしいことか。笑いか。ばからしいことだ。快楽か。それがいったい何になろう。私は心の中で、私の心は知恵によって導かれているが、からだはぶどう酒で元気づけようと考えた。人の子が一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていようと考えた。(伝道者の書2章1節―3節)」と、「天の下」、すなわち神を考慮しないこの世が、人に何か良いものを与えることができるかどうかを神から与えられた知恵を用いて探索した結果「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。(伝道者の書1章2節)」とこの世が与えることができるのは空しさであることを語る一方、「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(伝道者の書12章13節)」と、人を創造された神との関係こそがすべてであることを結論づけました。ダビデは「多くの者は言っています。『だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか。』主よ。どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。(詩篇4篇6節―8節)」と、この世の豊かさよりも主が与えてくださるものの方がはるかに優っていることを告白しています。パウロは「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です(テモテへの手紙第一6章6節)」と語っていますが、今日の聖句が「まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。」と、また、イエス様が「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。(ヨハネの福音書6章35節)」と仰せられたように、満ち足りる心は主との関係においてもたらされるのではないでしょうか。心が飢え渇きを覚えたとき、神の知恵であるみことばよりも、自分の考えや自分の思い、むなしさしか与えることのできないこの世の考えや価値観、流行に流されていないかどうか、イエス様との関係はどうなっているかを考えるとともに、主は私たちにとって益となるものであるならば与えてくださる方であることを感謝して生きようではありませんか。