聖書箇所
義は、主の御前に先立って行き、主の足跡を道とします。(詩篇85篇13節)
<関連聖句>
1.ヨハネの福音書13章2節―17節
2.ヨハネの福音書14章1節ー6節
3.ヘブル人への手紙5章7節―10節
4.ペテロの手紙 第一2章18節―25節
<メッセージ>
ローマ人への手紙3章23節―26節が「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。」と語っているように、まず、神は御子イエス様によってご自身の義を現され、そして、イエス様を信じる者が神の義を持つことができるようにしてくださったのです。その上、ペテロの手紙 第一2章20節―23節が「罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」と語っているように、どのようにキリスト者が歩むべきかをイエス様は示されたことを語っています。ですから、今日の聖句は「義は、主の御前に先立って行き、主の足跡を道とします。」と語っているのではないでしょうか。人から誤解されたり、非難されたり、わかってもらえず苦しんでいるような時、今日の聖句が、ヘブル人への手紙12章3節が勧めているように、私たちの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないために罪人を救うために遣わされ、苦しまれたイエス様のことを、義とされていることを感謝し、主が生きられたように私たち自身を神に委ねて生きようではありませんか。