聖書箇所

銀にはるつぼ、金には炉、人の心をためすのは主。(箴言17章3節)

<関連聖句>

1.歴代誌第一2910節―20
2.エレミヤ書179節―10
3.ヨハネの福音書64節―14

<メッセージ>

イエス様は「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」と尋ねた金持ちの青年に「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」と仰せられると、青年が「どの戒めですか。」と尋ねたので「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証してはならない。父と母を敬え、あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」と仰せられると、彼は「そのようなことはみな守っております。」と答えたので、彼に「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」とイエス様が仰せられると、彼は多くの財産を持っていたので悲しんで去って行ってしまったのでした。彼は隣人を自分自身のように愛している、とイエス様に自負していましたが、実は隣人より財産を愛していたのでした。パウロは「私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてなはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのうゆえに、損と思うようになりました。(ピリピ人への手紙3章5節―7節)」とキリスト者になる前は家柄や自分の義に生きていましたが、キリストを信じることによって自分を見たら、自分がいかにみじめであるかをまざまざと知らされたのですが、それに引き換え、御子イエス様をお遣わしになった神のことを考えると、神の恵みと神の愛の深さを知る者とされたのです(ローマ人への手紙7章24節、8章33節―39節)。主は今日の聖句が「銀にはるつぼ、金には炉、人の心をためすのは主。」と語っているように、主はさまざまな出来事を通して心の汚れやみじめさを知らしめることがありますが、その中に座り込んでしまうのではなく、パウロのように自分から目を離して十字架を見上げるなら、私たちの心をよくご存知でとりなしていてくださる主がおられることを思い起こすとともに、神の恵みと愛を深く知ることになるのではないでしょうか。