聖書箇所

正義の道にはいのちがある。その道筋には死がない。(箴言12章28節)

<関連聖句>

1.詩篇1610節―11
2.エレミヤ書235節―6
3.ヨハネの福音書141節―6

<メッセージ>

箴言1412節と箴言1625節が「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」と、語る一方、詩篇1610節―11節は「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨てておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」と、主は死の道ではなく、いのちの道を知らせてくださることを語っています。確かに、医学の発達にともない「延命処置」をほどこすことによって、ある程度いのちを保つことができますが、必ず「死」は訪れるのですが、箴言102節は「不義によって得た財宝は役に立たない。しかし正義は人を死から救い出す。」と、死から救われる可能性があることを語っています。ところで、死から救うことができるのはキリスト・イエス以外におられませんから「正義」はイエス様であり、パウロが「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通してきたからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」と、語っているように、死に勝利するいのちの存在を「復活」によって明らかにされ、確かなものにされたのでした。イエス様は「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と仰せられました(ヨハネの福音書146節)。ですから、だれでもイエス様を信じたなら天に国籍を持つものとされているのですが、今日の聖句「正義の道にはいのちがある。その道筋には死がない。」を心に据え、天に召されるまでの日々、いのちのみことばを握って主が与えてくださった豊かないのちに生きるために、正義の道、すなわち主の道を歩み続けようではありませんか。