聖書箇所
もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。(詩篇119篇92節)
<関連聖句>
1.詩篇1篇1節—3節
2.詩篇19篇7節—8節
3.ルカの福音書6章1節—23節
<メッセージ>
イエス様が民衆を教え始められたところに、姦淫の場で捕らえられたひとりの女性を連れて来て、真ん中に置き「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセの律法の中で、こういう女を石打にするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」と律法学者とパリサイ人はイエス様を告発する理由を得るために、ためして尋ね続けたので、イエス様は「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と答えられたので、年長者から始めて、ひとりひとり出て行ったのでした。イエス様は女性に「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と仰せられたのでした。先日金正男氏の殺害に利用された女性が保釈されましたが、その時の彼女の顔には満面の喜びが見られたように、彼女は殺されるのではないかという恐怖から救われたのでした。十字架につけられたイエス様は「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」と人々のためにとりなして祈られただけでなく、イエスさまに「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と悪口を言った犯罪人をもうひとりの犯罪人は「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」と、たしなめてから「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と申し上げると、イエス様は「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と仰せられたように、イエス様は人々に真実を語り、恵みと希望を与えられたのでした。この世が与える喜びは悩みによって消えうせてしまうようなもろさを持っていますが、イエス様は「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)」と仰せられました。今日の聖句「もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。」を心に蓄え、悩みの中に座り込むのではなく、その悩みを正直に主に申し上げ詩篇4篇1節「私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。」と語っているようにゆとりを与えていただこうではありませんか。