聖書箇所
主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。(歴代誌 第一16章11節)
<関連聖句>
1.詩篇16篇7節−8節
2.詩篇18篇30節−33節
3.詩篇105篇1節—7節
4.ヘブル人への手紙12章2節—3節
<メッセージ>
イエス様が「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」とペテロに仰せられたにも関わらず、ペテロが「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と言ったので、イエス様は「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と、預言されたのでした。ペテロは三度目に「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる。」と言われると、「そんな人は知らない。」と言っただけでなく、のろいをかけて誓い始めると鶏が鳴いたので、ペテロはイエス様が「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います。」と言われたことを思い出して激しく泣いた経験をした、ペテロは「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。(ペテロの手紙 第二1章2節—3節)」と、キリスト者が生活をしていく上で必要なのは神の力であることを語っています。なぜなら、信仰はイエス様によって与えられ完成させられるのでイエス様から目を離さないようにヘブル人への手紙12章2節は語っています。ところで、今日の聖句は「主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。」と、力だけでなく、常に御顔を求めるように勧めています。民数記6章24節—26節は「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように、主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように」と語っています。恵みと平安を与えることのできる主の御顔を仰ぎ見つつ生きようではありませんか。