聖書箇所

幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主の教えを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。(詩篇1篇1節―2節)

<関連聖句>

1.ヨシュア記11節―9
2.詩篇11910節―16
3.箴言122節―33
4.箴言331節―34

<メッセージ>

人は自分にとって何が幸いなのかを求めながら生きていますが、今日の聖句は「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主の教えを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」と、幸いなのは、「主の教え」を喜んで日々みことばに生きることであることと、避けるべきことについても語っています。「悪者のはかりごと」とは、イエス様がご自身の死と復活について語ったのに「主よ。神の御恵がありますようにそんなことが、あなたに起こるはずはありません。」といさめたペテロに「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」と仰せられたように神のことばを否定し、情で物事を判断させる悪魔の策略を、「罪人の道」とは、欲に支配され地上のことしか考えられない生き方(ピリピ人への手紙3章18節―19節)を、「あざける者」とは、箴言21章24節が「高ぶった横柄な者―その名は『あざける者』、彼はいばって、横柄なふるまいをする。」と語っているように高慢な人を意味し、自分の考えや自分は間違ってないと自分の義に生きている人々を世の中でよく見られますが、パリサイ人や律法学者のように律法を知っていても自分を義人だと自任し、他の人々を見下しているような人々を意味するのではないでしょうか。ヨシュアは主から「きょうから、わたしはイスラエル全体の見ている前で、あなたを大いなる者としよう。それは、わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを、彼らが知るためである。」と仰せられましたが、主から「律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない」と言われていたヨシュアは神がどのようなことをされるかを語りましたが、世の人々のように自分を誇るような生き方をせず、自分が大いなる者とされることを民には告げませんでした(ヨシュア記3章7節ー17節)。真理に導き、正しい判断をもたらしてくださる主の教えを喜んで生きようではありませんか。