聖書箇所

あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神、私はあなたをあがめます。(詩篇118篇28節)

<関連聖句>

1.出エジプト記1422節―152
2.ルツ記115節―18
3.詩篇1001節―5
4.ヨハネの福音書1章9節ー13節

<メッセージ>

パウロが「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。(ローマ人への手紙1章20節―23節)」と、アテネのアレオパゴスの議会で「神は、ひとりの人からすべての国の人々を作り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』といったとおりです。そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。」と弁明されたように、確かに人々は「神」をなんとなく知っていますし「神」ということばを使いますが、真の神に感謝をささげることも神をあがめることもしないのは、今日の聖句が「あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神、私はあなたをあがめます。」と語っているような神との個人的な関係を持っていないからではないでしょうか。イエス様を信じることによって、神を「私の神」と呼ぶことができる特権が与えられていることを感謝するとともに、私たちの神がどんな偉大な神であるかを思い起こし、主をあがめて生きようではありませんか。