聖書箇所
わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネの福音書14章27節)
<関連聖句>
1.ローマ人への手紙8章33節―39節
2.コリント人への手紙 第一4章4節―5節
3.ピリピ人への手紙4章6節−7節
4.ヨハネの手紙 第一 3章18節―20節
<メッセージ>
テロや自然災害、さまざまな人災がいつどこで起こるかわからないような現代社会は、人々に思い煩いや恐れをかつてないほど多くの人々に与えているのではないでしょうか。イエス様は「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」と、この世が与えることのできない平安をイエス様は与えてくださることを話されました。確かに、人々の励ましのことばや情による親子愛や友情、精神安定剤や音楽療法をはじめとするさまざまな瞑想や病気になっても経済的に不安を覚えないようにさせるさまざまな保険による保証は人々に一時的な安堵感や平安を与えることができますが、ローマ人への手紙8章15節は「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。」と、イエス様を信じるなら御霊が与えられ、恐れをもたらす霊の支配から解放されていることを語っています。イエス様から二度「わたしを愛しますか(アガパオ=神の愛で愛する)」と尋ねられたペテロは「はい。主よ。私があなたを愛する(フィレオ=兄弟愛、友情)ことは、あなたがご存知です。」と二度とも答えたので、三度目にイエス様はアガパオではなくフィレオでイエス様を愛するのかを尋ねたので、ペテロは心を痛めて「あなたはいっさいのことをご存知です。あなたは、私があなたを愛すること(フィレオ)を知っておいでになります。」と、自分の愛の足らなさを告白したのでしたが、イエス様はそのことを責めず、ペテロの与えた使命を取り消すことをもされないどころか、イエス様を三度否定したペテロの信仰がなくならないように祈られた主が私たちの神であることを心に留め、後悔するようなことをしても、自分を責めるよりも私たちの失敗さえも事前にご存知でとりなしていてくださる主を、キリスト・イエスにある神の愛が取り去られることはないことを、死に勝利した永遠のいのちが与えられていることを思い起こし(ローマ人への手紙8章38節―39節)主の平安をいただいて生きようではありませんか。