聖書箇所

私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。(出エジプト記33章16節)

<関連聖句>

1.ヨシュア記11節―9
2.イザヤ書431節―7
3.イザヤ書463節―4
4.マタイの福音書28章18節―20節

イエス様が「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害するこのために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。(マタイの福音書5章43節―45節)」と語られたように、神は差別をしませんが、今日の聖句は「私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。」と、神の民は世の人々とは異なる立場にあることを語っています。イエス様は弟子たちに「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(マタイの福音書28章20節)」と仰せられたように、キリスト者もイスラエルの民と同じ立場にあるのです。イスラエルの民は神がともにおられたので戦いに勝利しました。ヨハネの手紙 第一4章3節―4節は「イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたは、それが来ることを聞いていたのですが、今はそれが世に来ているのです。子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして、彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者たちよりも力があるからです。」と、キリスト者は勝利者であり、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けたのです(コリント人への手紙 第一2章12節)。イスラエルの民は神の民とされていることを忘れ、偶像崇拝に走ったりしましたが、神はご自分の民を見捨てず常に霊的回復を与えられたのでした。キリスト者は神の民とされていることを自覚し、イスラエルの民と同じような罪を犯さないように、どんな状況下にあっても主はいつもおられることを喜び、御霊が神のみこことに従って私たちのためにとりなしていえてくださることを(ローマ人への手紙8章27節)感謝して生きようではありませんか。