コロサイ人への手紙4章2節

目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。

<関連聖句>

1.マルコの福音書14章32節―42節
2.ローマ人への手紙13章11節―14節
3.エペソ人への手紙6章10節―20節

<メッセージ>

パウロは「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身につけなさい。」と勧めていますが、その武具を一つ一つ見るとイエス様に関わることであるために、イエス・キリストを着ることであることがわかります(ローマ人への手紙13章14節)が、その上に「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように、私のためにも祈ってください。私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。(エペソ人への手紙6章10節―20節)」と、御霊によって祈るためには「目をさまして」祈ることを勧めていますが、目を覚まして祈る必要がある理由をゲッセマネでイエス様が「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」とひれ伏して祈られてから弟子たちのところに戻ってみると弟子たちが眠っているのを見つけてペテロに「あなたがたは、そんなに一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」と言われたことばに見ることができるのではないでしょうか(マタイの福音書26章36節―42節)。

悪魔はさまざまな手段をもって誘惑します。ゲッセマネの弟子たちの場合は睡魔でしたが、祈りながらも主は私の祈りを本当に聞いていてくださるだろうか、と不信仰に陥るように仕向けたり(ヤコブの手紙1章5節―6節)、自分の欲が満たされるように悪い動機(ヤコブの手紙4章1節―3節)で祈り求めるように仕向けるようなことをするのではないでしょうか。

今日の聖句が「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」と、勧めているように、私たちの神は私たちの祈りを聞いてくださる方であることを感謝するとともに、悪魔に機会を与えないようにこの世と調子を合わせずに、たゆみなく主を見上げ、主のみこころを求めて祈る生活(ローマ人への手紙12章2節)を主に導いていただこうではありませんか。