マタイの福音書6章6節
あなたは祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
<関連聖句>
1.ネヘミヤ書1章1節―11節
2.マタイの福音書6章9節―13節
3.ローマ人への手紙8章14節―16節
<メッセージ>
ペテロとヨハネは民の指導者、長老、学者たちや祭司長たちから、いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない、と命じただけでなくおどして釈放すると、ペテロとヨハネは祭司たちや長老たちから言われたことを残らず報告すると、それを聞いた人々はみな、心を一つにして神に向かい、声を上げて「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください。」と祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出したことが使徒の働き4章5節―31節にあるように、キリスト者が一つとなって祈ることが書かれてありますが、ひとりで洞窟の中で「私は主に向かい、声をあげて叫びます。声をあげ、主にあわれみを請います。私は御前に自分の嘆きを注ぎ出し、私の苦しみを御前に言い表します。(詩篇142篇1節―2節)」とダビデが祈られたように、今日の聖句は「あなたは祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」と個々人が祈る場合、祈りをささげている神を「父」という意識をもって祈るべきことを、しかも戸をしめて祈ること、すなわち個人的な悩みや問題によっては、主の前にひとりで心の内を注ぎ出して父なる神に祈る方が良い場合があるのではないでしょうか。他のキリスト者と一緒に祈るべきことなのか、それとも一人静かに主の前に出て祈るべきことなのかを判別して祈ろうではありませんか。