いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。ヘリくだった人の霊をい生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」(イザヤ書57章15節)

1.歴代誌第二20章1節ー24節
2.詩篇51篇16節ー17節
3. 詩篇147篇1節ー6節
4.ルカの福音書18章9節ー14節

今日の聖句は「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。」と、どなたからのことばなのかをまず示されてから「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。ヘリくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」と、高く聖なる所、すなわち第三の天におられる主は、心砕かれて、へりくだった人とともに住む理由を、「へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」と語っています。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる』と書いてあるからです。しかしわたしはよみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」と言われたイエス様にかつて「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」と申し上げたにもかかわらず、三度イエス様を知らないと言ったペテロに死からよみがえられたイエス様が、食後「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか(アガパオ:神の愛で愛しますか)。」と尋ねると、ペテロはもはや「はい。私は他の誰よりもあなたを愛します。」とは言わずに、「はい。主よ。私があなたを愛することは(フィレオ:友情)、あなたがご存知です。」と、自分の愛の足らなさを認めるとともに主はご存じであることを申し上げたのですが、主は「わたしの羊を飼いなさい。」と使命を与えられただけでなく(ヨハネの福音書21章15節ー17節)、弟子たちに「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤのい全土、および地の果てにまで、わたしの証人になります。(使徒の働き1章8節)」と約束され、まさしく今日の聖句が語っているように、その約束はペンテコステの日に聖霊が下り、聖霊に満たされたペテロは他の使徒たちとともに立ち上がって人を恐れずに大胆に福音を語ったのです。後悔するようなことをしてしまった時には、落ち込むよりも恵みの座に出て、私たちの失敗さえも益にしてくださる恵みとまことに満ちておられるイエス様が聖霊なる神として内住してくださり、私たちを生かしてくださっている主を仰ぎ見て生きるように心がけようではありませんか。