自分の心にたよる者は愚かな者、知恵をもって歩む者は救われる。(箴言28章26節)

1.ルカの福音書12章15節ー21節
2.コリント人への手紙第一2章7節ー14節
3.エペソ人への手紙2章1節ー10節
4.ヤコブの手紙3章13節ー17節 

群衆の中のひとりが、イエス様に「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください。」と申し上げると、イエス様は彼に「いったいだれが、わたしをあなたがの裁判官や調停者にしたのですか。」と仰せられてから「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」と仰せられてから、たとえ話として、畑が豊作になった金持ちが心の中で「どうしよう。作物をたくわておく場所がない。こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産をみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。『たましいよ。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。『たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。』」と思った彼に対して、今日の聖句が「自分の心にたよる者は愚かな者、」と語っているように、「しかし神は彼に『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、お前が用意した物はいったいだれのものになるのか』自分ために蓄えても、神の前に富まない者はこのとおりです。」と話されたのでした。一方今日の聖句は「知恵をもって歩む者は救われる。」とも語っていますが、ヤコブは「地に属し、肉に属し、悪霊に属する知恵」と「上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。」と、知恵には二種類あることを語っています。パウロも、この世の知恵の愚かさを語るとともに「私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとり悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。(コリント人への手紙第一2章6節ー8節)」と語っています。私たちのたましいが日々救われるために、心に植えつけられた神の知恵である真理のみことばをすなおに受け入れて(ヤコブの手紙1章21節)生きるように心がけようではありませんか。