まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神を除いて、誰が岩であろうか。この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。(詩篇18篇31節ー32節)
1.イザヤ書46章5節ー13節
2.マタイの福音書7章15節ー27節
3.使徒の働き1章3節ー11節
4.ペテロの手紙第一5章8節ー11節
この世には、人を創造された神ではなく、人考えによって様々な神々が存在しますが、その原因をパウロは「神の、目に見えない本性。すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認めらるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いは虚しくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄を、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。(ローマ人への手紙1章20節ー23節)」と、「あのむなしいだましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう。注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによる物であって、キリストによるものではありません。」と語るとともに「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」(コロサイ人への手紙2章8節ー9節)と、ヨハネも「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を解き明かされたのである(ヨハネの福音書1章18節)」と語っているように、神を知りたかったなら、キリストを見るように勧めています。この世の神々は人の手によるものであり、人が世話をしなくてはならないものであることを理性的に考えるならおのずと神がどのような方なのかはっきりするはずなのに、パウロは、この世を支配している偽り者の父であり、この世の神であるサタンが人々の思いをくらませて神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないでしているために創造者なる神であり、岩であるイエス様を信じることができない状態に追い込んでいることを語っています(こりんと人への手紙第二4章3節ー4節)。今日の聖句「まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神を除いて、誰が岩であろうか。この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。」を、しっかり心に据えて、天地万物を創造され、すべてのことを益にすることのでき、必要な力を与えてくださる主が私たちの道を完全にしてくださることを忘れずに、主を信頼して生きるように心がけようではありませんか。