正しい者の望みは喜びであり、悪者の期待は消えうせる。(箴言10章28節)

1.ローマ人への手紙8章18節ー30節
2.コリント人への手紙第一15章31節ー58節
3.ピリピ人への手紙3章17節ー4章1節
4.ペテロの手紙第一1章3節ー9節

ダビデは「多くの者は言っています。『だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか。』主よ。どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。(詩篇4篇6節ー7節)」と、世の人々は神ではなく、人に期待しますが、神が与えてくださる喜びはこの世の豊かに勝るものであることをダビデは語っています。今日の聖句は「正しい者の望みは喜びであり、悪者の期待は消えうせる。」と、正しい者と悪者が経験する違いを語っています。ところで、パウロは「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスにおよる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(ローマ人への手紙3章23節ー24節)」と、イエス様は、たとえ話をもって、神の評価は、自分を義人と自任し、他の人々を見下しているパリサイ人たちではなく、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」と申し上げた取税人を義と認められることを話されたように、「正しい者」とは自分や人からの評価ではなく、神の目から見た状態を語っています。人は地位がどうであれ、知能指数がどうであれ、どんなに豊かであっても必ず死が訪れます。無神論者であったフランス人の哲学者ボルテールは病気になり、余命が短いことを医師から告げられると医師に「私の財産の半分を差し上げますから、寿命を伸ばして欲しい。」と言いましたが、医師は「半月も持たないかもしれません。」と答えたので、「私は神とあなたを呪って死ぬ。」と言ったそうです。ペテロはイエス様のことを三度知らないと言いましたが、復活のイエス様にお会いして、生ける希望を持つ者に、パウロは私たちの国籍は天にあることを語っています。私たちの望みは死によって消滅するようなものでなく、かえって主にお会いできるという喜びでしかないのではないでしょうか。しかも、二度と死ぬことなく永遠に主と生き続けるいのちが与えられていることを喜ぼうではありませんか。