わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103篇2節)

1.ヨシュア記4章1節ー24節
2.詩篇78篇1節ー7節
3.ローマ人への手紙5章6節ー11節
4.コリント人への手紙第一15章3節ー22節

ダビデはサウルをはじめ民が恐れていたゴリアテとの戦いにおいて「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。きょう、主はおまえを私の手に渡される。私はおまえを打って、おまえの頭を胴体から離し、きょう、ペリシテ人の陣営のしかばねを、空の鳥、地の獣に与える。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。」と言って、一つの石でゴリアテを倒したにもかかわらず、サウルからいのちを狙われると、主に拠り頼むよりも、自分の考えで敵陣のペリシテ人の陣地に逃げ込むようなことをされましたし、数々の奇跡を体験したモーセにしても、民に混じってきた者たちが激しい欲望にかられると民も同調して「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す、きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。だが今や、私たちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを見るだけだ。」とつぶやいたので、主がモーセに「あなたがたが食べるのは、一日や二日や五日や十日や二十日だけでなく、一か月も出会って、ついにはあなたがたの鼻から出て来て、吐き気を催すほどになる。」と仰せられると、モーセは「私といっしょにいる民は徒歩の男子だけで六十万です。しかもあなたは、彼らに肉を与え、一月の間食べさせる、と言われます。彼らのために羊の群れ、牛の群れをほふっても、彼らに十分でしょうか。彼らのために海の魚を全部集めても、彼らに十分でしょうか。」と不信の罪を犯したのは(民数記11章4節ー22節)主の偉大さを忘れてしまったからではないでしょうか。ダビデは主に立ち返ると主は勝利を与えられたのでした。ですからダビデは「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」と勧めておられるのではないでしょうか。十字架の恵みを忘れずに主を信頼し、主をほめたたえて生きるように心がけようではありませんか。