私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。(ガラテヤ人への手紙5章16節)

1.ローマ人への手紙7章18節ー8章8節
2.エペソ人への手紙2章1節ー10節
3.エペソ人への手紙4章26節ー33節
4.テサロニケへの手紙第一5章15節ー24節

パウロは「私はパウロにつく」と言えば、別の人は、「私はアポロに」と言うような、パウロのことを見下げるような人がいた肉の教会に行った時の状態について「さて兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。」と語ってから「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力に支えられるためでした。(コリント人への手紙第一3章3節ー4節及び2章1節ー5節)」と、議論をすることを避けたのでした。パウロは「肉に従う者は肉的な5ことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。(ローマ人への手紙8章5節ー7節)」と肉の力の威力を語っています。ペテロは「全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」と自分を誇っていましたが、聖霊に満たされた彼は「父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」と、もはや自分に生きるのではなく、キリストに従うことができる秘訣は聖霊によるきよめであることを語りました。キリスト者には聖霊が与えられていますが、「私」に生きてしまうと、肉の欲に支配されて、自己満足の世界に陥って、聖霊を悲しませたり、聖霊を消す、すなわち聖霊が働けないような状態に陥ってしまうのではないでしょうか。肉、すなわち「私」から解放されるために、御霊によって歩むために、御霊によって書かれたみことばをしっかり握って生きるように心がけようではありませんか。