まことに、主はこう仰せられる「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げーそれはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ書29章10節ー11節)

1.箴言16章1節ー3節
2.ローマ人への手紙4章25節ー5章5節
3. ローマ人への手紙11章22節ー36節
4.ペテロの手紙第一1章3節ー13節

今日の聖句は「まことに、主はこう仰せられる『バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げーそれはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』」と、神はイスラエルの民が罪を犯したためにバビロンに捕囚として連れて行かれることを許されましたが、主はその期間を七十年と決められ、その期間が終わったらエルサレムに帰還できることを預言されるとともにイスラエルの民に対して神にはご計画があることを、しかもそれは平安だけでなく将来と希望を与えるものであることを約束していますが、それはイスラエルの民と同じように神の民、神の家族とされている私たちキリスト者にも言えることではないでしょうか。私たもアダムのように神のことば、すなわち、みことばを知っていても、肉の思いに支配されるとみことばに生きることができずに(ローマ人への手紙苦悩するようなことがありますが、ヘブル人への手紙4章15節ー16節が「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべても点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」と、パウロが「罪の増し加わるところに恵みも増し加わる」と語っているように、失敗するごとに恵みの座で十字架を仰ぎ見て、贖われていることを、神の恵みの深さを知るとともに、やがて私たちのからだは贖われ、罪を犯させようとする肉の思いからも(ローマ人への手紙7章25節及び8章23節)完全に解放され、栄光の姿に変えられ、滅びる者ではなく、主とともに天国で永遠に生き続けるという望みと将来が与えられていることを忘れずに主を信頼して生きるように心がけようではありませんか。