主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。(詩篇23篇3節)
1.ローマ人への手紙4章25節ー5章5節
2.テモテへの手紙第二3章12節ー17節
3.ヘブル人への手紙12章2節―12節
4.ヨハネの手紙第一2章15節ー27節
詩篇42篇において、「鹿が谷川の流れをしたいあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」と1節で語ってから、5節に「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。」と、祈り賛美しているにも関わらず、さらに11節で「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い、私の神を。」と、うなだれている中にあっても賛美のいけにえ捧げ、主に期待しているのは、ダビデがまず「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに共なされます。」と語ってから「主は私のたましいを生き返らせ、」と語っているように、私たちの傷んだたましい、うなだれているたましいを生き返らせてくださる力は主にあるからではないでしょうか。私たちの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないために「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。」と勧めているように、私たちが受けるべき過ちや罪に対する罰を私たち代わりに十字架で退け受けてくださり、罪に定められなように取りなしていてくださる恵みとまことに満ちておられ、私たちを勇気づけてくださり、義の道に導いてくださるイエス様がいつも、どんな時にも共にいてくださることを忘れずに、心のうちを正直に申し上げ、気休めでなく、この世が与えることのできない平安を主からいただくと共に、被災された熊本の方々にやがて福音が届き、疲れたたましいを生き返らせてくださえるイエス様を信じる方がたくさん起こされるように祈りましょう。