私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。(ヨハネの福音書1章16節ー17節)1.箴言3章3節ー6節
2.使徒の働き20章29節ー32節
3. ローマ人への手紙5章17節ー21節
4.エペソ人への手紙2章1節ー9節 

ヨハネは「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」と、神でありながら人としてこの世に御降誕されたイエス様がどのような方なのかを紹介しています(ヨハネの福音書1章14節)。律法学者とパリサイ人は姦淫の場で捕えられた女性を民衆の真ん中に置いてから「先生。この女は姦淫の場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」と問い続けたのでイエス様は「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と答えると、年長者からみんな出て行ったのでした。残された女性にイエス様は「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは罪を犯してはなりません。」と糾弾するのではなく、恵みをお与えになったのは彼女の心を知っておられたからではないでしょうか。自分を義人と自任して他者を見下し、去らなかった律法学者やパリサイ人に「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことなく、いのちの光を持つのです。」と仰せられたのですが、彼らは「あなたは自分のことを自分で証言しています。だから、あなたの証言は真実ではありません。」とイエス様のことばを受け入れなかったのは、彼らはモーセの座に座っていたからでしょう。パウロは「キリストは私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました(ガラテヤ人への手紙3章13節)。律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ち溢れました(ローマ人への手紙5章20節)」と語っています。今日の聖句が「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。」と語っているように、恵みによって救われただけでなく、一生涯、恵みによって生かされていることを心に据えて恵みから落ちないように十字架にかけられたイエス・キリストをを仰ぎ見て生きるように心がけようではありませんか。