神の御名は とこしえからとこしえまでほむべきかな。知恵と力は神のもの。(ダニエル書2章20節)
1.歴代誌第一29章10節ー13節
2.ローマ人への手紙11章25節―36節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー25節
4.コリント人への手紙第一2章6節ー16節
イスラエルの歴史を見ると、神の偉大さを経験しながらも何度も神に対して背を向けるようなことをしましたが、主はご自分が選んだ民を見捨てることなく、常に主の方から手を差し伸べたのでした。そのことを思ってでしょうか、パウロは「兄弟たち。私は、あなたがたに。ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったはのは異邦人の完成のなる時までであり、こうしてイスラエルはみな救われる、ということです。・・・彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。神の賜物と召命とは変わることがありません。」と、語ってから「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。」と告白しています(ローマ人への手紙11章25節及び28節、33節)。ヤコブは「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすれればきっと与えられます。ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。」と勧めています(ヤコブの手紙1章5節ー6節)。ソロモンは主に「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。」と申し上げると主は知恵の心と判断する心を与えられたのでした(列王記第一3章9節及び11節)。「ソロモンの知恵」と言われますが、ソロモンの知恵ではなくは神の知恵でした、パウロはキリストは私たちにとって「キリストは神の力、神の知恵」と語っています。今日の聖句が「神の御名は とこしえからとこしえまでほむべきかな。知恵と力は神のもの。」と語ってるように、この世の知恵や力ではない神の力、神の知恵であり信仰の完成者であるイエス様から目を離さないように、神の知恵であるみことばをしっかり握って主の御名を誉めたたえて生きるように心がけようではありませんか。