あなたがたは肉によってさばきます。わたしはだれをもさばきません。(ヨハネの福音書8章15節)
1.マタイの福音書9章10節ー13節
2.ルカの福音書23章32節ー43節
3.ヨハネの福音書3章16節ー18節
4.テモテへの手紙第一1章12節ー17節
ある人々はイエス様につばをかけ、顔をおおい、こぶしでなぐつけ「言い当ててみろ」と言ったり、役人たちは平手で打ったりしましたし(マルコの福音書14章65節)、聖骸布(イエス様の死体を巻いていた布、イタリアのトリオに保管されている)を、現代の科学者が調べたところ、イエス様は十字架にかけられる前に、ローマのやり方で、ロマ軍が持っていたフラグラムという鞭や動物の骨や鉛が先端に付けられていた鞭などで二人の人がイエス様の両側に立って何百回も打たれたり、犯罪人バラバの代わりに十字架にかけられてからも、人々からあざけられたり、ののしられたりしたのですが、イエス様は「あなたがたは肉によってさばきます。わたしはだれをもさばきません。」と仰せられたように、十字架上で「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と祈られたのでした。その祈りを聞いた犯罪人のひとりが、なお悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と言った犯罪人に「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」とたしなめたように、罪を犯したら刑罰を受けるのですが、たしなめた犯罪人が「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と申し上げると 「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と約束されたのでした(ルカの福音書23章32節ー43節)。ところで、世間は嘘が方便と言いますが、聖書は罪と教えています。ですからパウロはすべての人は罪を犯した、と語るとともにキリスト者を教会を迫害し罪を犯したにも関わらず、神の赦しを体験し、神の愛と恵みを知り「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。(テモテへの手紙第一1章15節)」と語りました。イエス様は私たちをさばかれる方ではなく救う方であること、信仰がなくならないように、罪に定められないようにとりなしていてくださっている方であることを、天に国籍を持つ者とされていることを忘れずに生きようではありませんか。
