イエスは彼らに言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネの福音書14章6節)

1.ヨハネの福音書3章16節ー21節
2.使徒の働き2章22節ー41節
3. ローマ人への手紙6章17節ー23節
4.ヘブル人への手紙10章1節ー20節 

富士山登山には吉田ルート、富士宮ルート、御殿場や須走りルートなどがありますが、どこから上っても同じ頂上に到達するのと同じように、宗教の行き着くところは同じであると考えがちなだけでなく、告別式で、よっぽどのことがない限り「天国で安らかにお眠りください。」と亡くなられた方に対して話されますが、イエス様は「「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と仰せられましたが、その言葉には定冠詞がついているために、「わたしが唯一の道」と仰せられたのでした。ですから、ヘブル人への手紙10章19節ー20節は「兄弟たち。私たちは、イエスの血によって大胆にまことの聖所に入る音ができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。」と語っているのではないでしょうか。パウロはパリサイ人として生きていた時には律法による自分の義に生きていましたが、キリストを信じる信仰に基づいて神から与えられる義を知る者となられ、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(ローマ人への手紙3章23節ー24節)」と、「罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ人への手紙6章23節)」と語っているだけでなく、「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身につけなさい。」と勧めてから、神の武具について「腰には真理の帯、胸には正義の胸当て、足には平和の福音、信仰の大楯、頭に救いのかぶと、御霊の与える剣である神のことばを取りなさい。」と勧めていますが、それらの要素を見ると、全てイエス様に関わっています。恵みによって救われていることを、天の国籍が与えられていることを感謝し、キリストにある者として生きるように心がけようではありませんか。