あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。それは「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない」と書いてあるからです。(ペテロの手紙第一1章15節ー16節)
1.ヨハネの福音書17章14節ー19節
2.ローマ人への手紙15章8節ー16節
3.エペソ人への手紙4章17節ー24節
4.テサロニケ人への第一の手紙5章14節ー24節
イザヤはウジヤ王が死んだ年、高くあげられた王座に座しておられる主を見るとともにセラフィムが「聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」と叫ぶ声を聞き、「ああ、私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」と言うと、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭を手にもったセラフィムのひとりがイザヤの口に触れて「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」と言われたのと、「だれを遣わそう。だれがわれわれのためにいくだろう。」と仰せられた主の声を聞いたので「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」と申し上げたのでした(イザヤ書6章1節ー8節)。ペテロはレビ記19章2節を引用され「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。それは「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない」と書いてあるからです。」と、パウロも「私がキリストにを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。(コリント人への手紙第一11章1節)」と勧めています。イエス様は捕えられる前、弟子たちだけでなく、すべてのキリスト者のために「真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。あなたがわたしを遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。(ヨハネの福音書17章17節ー18節)」と仰せられました。イエス様を信じたことによって、イザヤのにうにすでに聖なる者とされていることを心に据えて、パウロが、父のみこころに従って生きられたキリストをみならって生きたように、言葉にしても、行いによっても主が喜ばれるかどうかを吟味して生きるようにしようではありませんか
