もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(コリント人への手紙第一15章16節ー17節)
1.ローマ人への手紙6章17節ー23節
2.コリント人への手紙第一15章3節11節
3.エペソ人への手紙2章1節ー9節
4.ヘブル人への手紙2章5節ー18節
イエス様はマルタに「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」と仰せられ、亡くなってから四日もたっていたマルタの兄弟であるラザロに「ラザロよ。出て来なさい。」と大声で叫ばれると、ラザロは長い布で巻かれたまま墓である洞穴から出て来たのを多くのユダヤ人や弟子たちは見たのでしたが、イエス様が捕えられるとペテロは三度イエス様を知らない、と言い、他の弟子たちは家に帰ってしまい、ヨハネだけがマリヤや女性たちと十字架にかけられたイエス様をご覧になったのでした(ヨハネの福音書19章26節ー27節)。しかし、死からよみがえられたイエス様にお会いし、聖霊に満たされたペテロは他の使徒たちと共に立ち上がって十字架の死と復活について大胆に語ったので、3000人がバプテスマを受け、教会が生まれたのでした(使徒の働き2章22節ー41節)。キリスト者を迫害するために向かっていたダマスコへの途上でイエス様から声をかけられキリスト者となったパウロは「もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」と語っているのは、アダムは主から善悪の知識の木から取って食べるとき、必ず死ぬので善悪の知識の木から食べないように警告を受けていたにもかかわらず、主の警告よりも警告を直接聞いていなかった妻エバの声に聞き従って食べて罪を犯したために人類に死が臨むようになってしまったことからであるため、パウロは「罪から来る報酬は死です。」と語ってから「しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ人への手紙6章23節)」と述べているのは「ちょうどひとりの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、ひとりの義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられるのです(ローマ人への手紙5章19節)」と語っているように、イエス様は十字架で罪に対する罰をお受けになっただけでなく、死からの復活をもって贖いを成就され、完全勝利をおさめられたのでした。イエス様を信じるなら、全生涯の罪は取り除かれているだけでなく、死後どうなるのかわからないようなむなしい信仰ではなく、滅びる者でもなく、天国で永遠に生きることができる生ける希望が与えられていることを(ペテロの手紙第一1章3節)、すべての人にキリストが必要であることを心に据えて、人々がイエス様を信じて生きるように祈ろうではありませんか。
