イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、またこいう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」(マルコの福音書14章35節ー36節)

1.マタイの福音書16章13節ー23節
2.ルカの福音書22章40節ー45節
3.ヨハネの福音書12章20節ー28節
4.ローマ人への手紙11章33節ー12章3節

イエス様は弟子たちにご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを話されると、「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずがありません。」とイエス様を引き寄せていさめ始めたペテロに「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ(2017年訳:あなたは、わたしをつまずかせるものだ。)。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」と仰せられたのは、苦しみや十字架での死後、三日目によみがえりをもって、死に、サタンに勝利し、主の栄光を現すことを、人類の救いの道が開かれることをご存知でしたが、どれほどの苦しみを味わうのかをご存知であったために、最後の晩餐をされてからゲッセマの園で、地面にひれ伏して、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈られただけでなく「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。(マルコの福音書14章35節ー36節)」と、汗が血の滴るように祈られルカの福音書22章44節)、自分の意志ではなく、父なる神の意志、父から与えられた使命に生きられたのですが、そこには自分の意志、自分を捧げることがどれほどの苦しいものであるのかをも味あわれたのでした。パウロは「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ人への手紙12章2節)」と勧めています。哀歌3章33節は「主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは思っておられない。」と語っているように、試練に会い、苦しみの中にある時、ゲッセマネの園で祈られたイエス様のことを思い起こすとともに、死があってはじめて復活という勝利がもたらされたことを思い起こし、試練は勝利の前触れであることを心に据えて「主のみこころがなりますように。」と祈り、すべてのことを益としてくださる主を信頼して生きようではありませんか。