主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。(ルカの福音書1章43節)

1.イザヤ書55章6節ー11節
2.使徒の働き27章9節ー26節
3.テサロニケへの手紙第一2章9節ー13節
4.ヘブル人への手紙11章1節ー6節

今日の聖句「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」はエリザベツがマリヤに言ったことばですが、マリヤが信じきることができた背景には「神にとって不可能なことは一つもありません。」という御使いガブリエルのことばがあるのではないでしょうか。民が肉を食べたいとつぶやいたために、主が「あなたがたが食べるのは、一日や二日や五日や十日や二十日だけでなく、一ヶ月もであって、ついにはあなたがたの鼻から出て来て、吐きけを催すほいどになる。それは、あなたがたのうちにおられる主をないがしろにして、御前に泣き『なぜ、こうして私たちはエジプトから出て来たのだろう』と言ったからだ。」と仰せられると、イスラエルの民をエジプトから導き出すように召され、数々の奇蹟を体験したモーセでさえも「私といっしょにいる民は徒歩の男子だけで六十万人です。しかもあなたは、彼らに肉を与え、一月の間食べさせる、と言われます。彼らのために羊の群れ、牛の群れをほふっても、彼らに十分でしょうか。彼らのために海の魚を全部集めても、彼らに十分でしょうか。」と申し上げると、主は「主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今わかる。」と仰せられ、海の向こうからうずらを運んで来られたのでした。興味深いことにヘブル人への手紙11章24節にモーセは信仰者として記されています。ヘブル人への手紙11章1節ー3節が「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからではないことを悟りのです。」と語っているように、キリスト者は神がおられること、天地万物が神によって創造されたことを信じきっていますが、日常生活において、私たちもモーセのように、福音書のペテロや弟子たちのように、自分の考えを先行させてしまい、不信仰に陥ってしまうようなことがありますが、主は私たちの弱さをよくご存知で、信仰がなくならないように祈っていてくださっていますし、ヘブル人への手紙12章2節は信仰の創始者も完成者もイエス様であることを語っています。信仰を完成してくださるのはイエス様であることを信じきって生きるようにしようではありませんか。