わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。(ヨハネの福音書10章14節)
1.マタイの福音書26章31節ー35節
2.ヨハネの福音書20章24節ー31節
3.ヨハネの福音書16章19節ー33節
4.ヨハネの手紙第一3章18節ー21節
「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたら良いのでしょうか。」と尋ねた金持ちの青年に対してイエス様は「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのか。良い方は、ひとりだけです。」と、人が考える「良い方」はたくさんおられますが、主は「ひとりだけ」と仰せられたのでした(マタイの福音書19章16節ー17節)。ところで、イエス様はご自身のことを「わたしは良い牧者です。」と仰せられただけでなく「わたしはわたしのものを知っています。」と断言されたように、「私たちはあなたが神から来られたことを信じます。」と申し上げた弟子たちに「あなたがたは今、信じているのですか。見なさい。あなたがたが散らされて、それぞれ自分の家に帰り、私をいひとり残す時が来ます。(ヨハネの福音書16章30節ー32節)」と、ペテロが「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」と申し上げると、他の弟子たちもみなそう言ったのですが(マタイの福音書26章35節)、イエス様が預言されたように、ユダが剣や棒を手にした大勢の群衆と一緒に来ると、弟子たちはみな、イエス様を見捨てて逃げてしまいましたし(マタイの福音書26章56節)、ペテロは三度イエス様のことを否定したのですが、イエス様は、ペテロの信仰がなくならないように祈られただけでなく、「立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と、やがてペテロが立ち直ることをもご存知で、励まされたのでした(ルカの福音書22章31節ー33節)。イエス様はそれらのことが起きる背景には、聖書が実現するためであり(マタイの福音書26章54節及び56節)、「シモン、シモン、見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。(ルカの福音書22章31節)」と仰せられように、試練そのものはサタンによるものですが、その背後に父なる神の許しが、神の御計画があることをも話されました。イエス様が「また、わたしのものは、わたしを知っています。」と仰られたように、死からよみがえられたイエス様にお会いしたペテロや弟子たちは本当の意味でイエス様を知る者となられたのでした。ヨハネはイエス様のことを恵みとまことに満ちておられる方と、パウロは、イエス様は私たちが罪に定められないようにとりなしていてくださ方であり、キリスト・イエスにある神の愛からどんなものをもってしても引き離すことができないという確信をもって迫害をも忍ばれたのでした。私たちの弱さをよくご存知な主がどのような方なのかを知って生きるようにしようではありませんか。
