イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。(ルカの福音書5章16節)

1.マタイの福音書4章1節ー2節
2.マタイの福音書6章5節ー7節
3.マタイの福音書14章1節ー23節
4.ルカの福音書6章12節ー13節

イエス様は「まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上につなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。(マタイの福音書18章18節ー20節)」と仰せられましたが、「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と申し上げたペテロに「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれます。(マタイの福音書16章15節及び19節)」と、兄弟姉妹でもひとりでも主の御名をもって祈るなら同じ状況が起きることを話されました。イエス様は「祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。」と仰せられてから「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」と、仰せられたのは、今日の聖句が「イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。」と、またマルコの福音書1章35節が「イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」と語っているように、父なる神と個人的な交わりをされておられたからではないでしょうか。祈りは人に聞かせるものではないことを心に据えるとともに、兄弟姉妹と一緒に祈るのと同じように、主の御名をもって祈る個人の祈りにもどれほどの権威が与えられているのかを忘れずに祈ろうではありませんか。