わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことができません。(ヨハネの福音書15章4節)

1.マタイの福音書7章13節ー24節
2.マタイの福音書13章11節ー30節
3.ガラテヤ人への手紙5章16節ー23節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー11節

イエス様は「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」と仰せられてから「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなれをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうはいばらは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。」と仰せられました。ところで、イエス様は「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます(ヨハネの福音書10章」と言われたように、「狭い門」、「いのちに至る門」はイエス様ご自身であることがわかりますし、だまされないように実を見て判断するように仰せられました。ところでイエス様は「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことができません。」とイエス様にとどまっていなければ(口語訳:つながっていなければ)結ぶことのできない実があることを話されました。パウロは「御霊によって歩みなさい。」と勧めているのは「御霊の実(ガラテヤ人への手紙5章22節)」を結ぶためであり、ヘブル人への手紙12章において、私たちの心が元気を失ったり、疲れたりしないために信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないように勧めてから(ヘブル人への手紙12章2節ー3節)、主は私たちが平安な義の実を結ぶためにキリスト者を訓練されることを語っています(ヘブル人への手紙12章4節ー11節)。神の愛を示されたイエス様が聖霊なる神として私たちのうちに内住されていることを、主が喜ばれる実を結ぶために、「聖霊の宮」とされていることを、十字架につけられ神の愛を示されたイエス様のことを忘れないで、聖霊によって私たちの心に注がれている十字架で示された神の愛に生きるように手に助けていただこうではありませんか。