あなた方は罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。(コロサイ人への手紙2章13節ー14節)
1.ヨハネの福音書5章15節ー24節
2.ローマ人への手紙8章33節ー39節
3.エペソ人への手紙2章1節ー10節
4.ヘブル人への手紙10章1節ー18節
パウロがキリストを信じる前の状態について「あなたがたは自分の罪禍と罪との中で死んでいたものであって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権を持つ支配者として今も不従順な子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」と生きているキリスト者に向かって死んでいると語っているのは、主がアダムに「善悪の知識の木から取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。(創世記2章17節)」と警告したにもかかわらず、彼は妻エバの声に聞き従って食べて罪を犯したために、主が仰せられたように人類に死が臨むことになり絶望的な状態に置かれたのですが、そのような絶望状態から神は御子を人としてこの世にお遣わしになられ、パウロが「あなた方は罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。」と語っているように、人にはできないことをしてくださったのでした。ですからパウロは「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」と語ってから「キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」という確信をもって生きられたパウロのように、イエス様を信じているなら」救われているかどうか悩まずに全生涯の罪が十字架で処理されていることを忘れずいにネヘミヤが「主を喜ぶことはあなたがたの力です。」と勧めているように私たちの身代わりとなって罪やサタン、神の怒りや裁きから救ってくださった主がいつも一緒にいてくださることを喜ぼうではありませんか。
