わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。(マタイの福音書11章29節)
出エジプト記20章1節ー3節 詩篇46篇1節ー11節 詩篇100篇1節ー5節 ヨハネの福音書13章1節ー15節
イエス様は「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と約束されてから「わたしは心優しく、へりくだっているから、」と、ご自分がどのような者なのかを話されてから、「あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」と勧告されてから、主から学ぶとその結果「そうすればたましいに安らぎが来ます。」と約束されたのでした。ヘブル人への手紙12章2 節ー3節が「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人のたちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」と、勧めています。パウロは「あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪禍の中に死んでいたこの私たちをキリストともに生かしーあなたがたが救われたのは、ただ恵みよるのですー(エペソ人への手紙2章4節ー5節)」と、「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。(ピリピ人への手紙2章6節ー8節)」と、神の愛、神の恵み、キリスト・イエスを知る者となられ、「私はパウロにつく」「私はアポロに」と「私」に生きていたコリントの聖徒たちに「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。」と彼らがパウロのようにキリストを模範に生きてほしいという願いを語っています。恵みとまことを実現してくださり、死をもたらす罪、サタンの支配から解放してくださったイエスが十字架上で人々のためにとりなして祈られただけでなく、今も父なる神の右に座して私たちのためにとりなして祈っていてくださるように(ローマ人への手紙8章34節)、私たも人々のために祈ろうではありませんか。
