神の御名はとこしえからとこしえまでほむべきかな。知恵と力は神のもの。(ダニエル書2章20節)

1.イザヤ書46章5節ー11節
2.ローマ人への手紙11章25節ー36節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー31節
4.使徒の働き4章8節ー13節 

ネブカデネザル王は呪法師、呪文師、呪術者、カルデヤ人に彼が見た夢とその解き明かしをするように命じましたが、彼らが「この地上には、王の言われることを示すことのできる者はひとりもありません。どんな偉大な権力のある王でも、このようなことを呪法師や呪文師、あるいはカルデヤ人に尋ねてことはかつてありません。王のお尋ねになることは、むずかしいことです。肉なる者とその住まいを共にされない神々以外には、それを王の前に示すことのできるる者はいません。」と申し上げましたが、彼らが話されたように、この世の神々ではなく天の神、すなわち主はすべてをダニエルに啓示されたので、ダニエルは「神の御名はとこしえからとこしえまでほむべきかな。知恵と力は神のもの。」と語ったのでした。パウロが「十字架のことばは、滅びる人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。・・・・この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神は宣教の愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。」と語ってから「ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」と(コリント人への手紙第一1章18節ー25節)、ユダヤ人に対する神のご計画を思って「ああ、神の知恵と知識との富は、底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、なんと測り知りがたいことでしょう。」と語っているのは(ローマ人への手紙11章25節ー33節)、自分の考えてキリスト者を迫害していたのですが、ダマスコの途上で主から声をかけられて自分の考えが間違っていたことを知っただけでなく、視力を失い人に手を引いてもらわなくてはならなくなり、神の力を、自分の力の弱さをも知ったからではないでしょうか(使徒の働き9章1節ー8節)。今日の聖句「神の御名はとこしえからとこしえまでほむべきかな。知恵と力は神のもの。」を心に留めてと、ヤコブが「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか、その人は賛美しなさい。(ヤコブの手紙5章13節)」と、勧めているように、私たちの神はどのような方なのかを忘れず、神の力、神の知恵であり恵みとまことを実現してくださった主に目を留め、主の御名を誉めたたえて生きるようにしようではありませんか。