義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。(イザヤ書32章17節)
1.コリンと人への手紙第一1章26節ー31節
2.エペソ人への手紙2章1節ー19節
3.ピリピ人への手紙3章2節ー9節
4.ペテロの手紙第一5章7節ー11節
イエス様は自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対して「ふたりの人が祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではない事を、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』とことが取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くさられ、自分を低くする者は高くされるからです。(ルカの福音書18章9節ー14節)」と仰せられたように、律法による自分の義に生きていた時のパウロは激しい怒りに燃えてキリスト者を迫害していたのでしたが、キリスト者となった彼はキリストを信じる信仰によって神から与えられる義を知る者となられ「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。(ローマ人への手紙10章1節ー4節)」と、「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。(エペソ人への手紙2章14節ー15節)」と語っています。「義」という漢字は「羊」の下に「我」があります。今日の聖句「義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。」を心に据えて、自分の義ではなく、イエス様を信じたことによって神から与えられている神の義に生き、すべての人と平和を保つために(ローマ人への手紙12章18節)、敵意を廃棄してくださった平和の君であり、恵みとまことに満ちておられる主を信頼して生きるようにしようではありませんか。
