主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。まぬけ者(2017訳:無思慮な者)は知らず、愚かな者にはこれがわかりません。(詩篇92篇5節―6節)

1.ヨハネの福音書15章18節ー16章16節
2.ローマ人への手紙11章25節ー36節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー31節
4.エペソ人への手紙5章6節ー17節

今日の聖句は「主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。」と語ってから「まぬけ者(2017訳:無思慮な者)は知らず、愚かな者にはこれがわかりません。」と、主のみわざを理解できない人々について語っています。ところで、パウロは「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。』あ知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かな者にされたではありませんか。(コリント人への手紙第一1章18節ー20節)」と、思慮に欠けている人についてアサフは誇り高ぶる者は「『どうして神が知ろうか。いと高き方に知識があろうか。』と言う(篇73篇11節)」と、愚かな者について詩篇14篇1節が「愚か者は心の中で、『神はいない』と言っている。」と、語っているように、この世の基準とは異なる事を語っています。パウロは自分の義に生きていた時にはキリストを信じる信仰によって神から与えられる神の義を知らずに、ステパノを殺すことに賛成していたのですが、イエス様から声をかけられキリスト者になり真理を知ったパウロは「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。(ローマ人への手紙11章33節)」と、「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。(テモテへの手紙1章15節)」と、人には考えられないことを主がなされた事を、真の賢さはこの世が考えているような賢さ、頭の良さではないことを告白しています。イエス様を信じたことによってこの世が与えることのできない信仰が、真理の御霊が与えられていることを、全生涯の罪が取り除かれていることを感謝して生きるようにしようではありませんか。