あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「主をあがめよう」と、いつも言いますように。(詩篇40篇16節)
1.ネヘミヤ記8章1節ー12節
2.詩篇42篇1節ー11節
3.マタイの福音書6章7節ー6節
4.ピリピ人への手紙4章4節ー7節
ダビデは「あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。」と、まず主を慕い求める人々が主にあって楽しみ、喜ぶように願っています。ところで、主を慕い求める時は、往々にして恐れたり、思い煩ったり、不安を覚えるような時ではないでしょうか。ソロモンは「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』という年月が近づく前に。」と勧めているのは、この世が与えることのできる楽しみや喜びは一時的なもので、年をとると、死後自分はどうなるのかと不安を覚えてしまいますし、苦悩するようなことが起こると、楽しみや喜びが恐れや思い煩いに変わってしまうからではないでしょうか。理解できないようなことがあっても、ヘブル人への手紙12章3節は、心が元気を失い、疲れ果てないために十字架にかけられたイエス様のことを思うように勧めていますし、ネヘミヤは「主を喜ぶことはあなたがたの力です。」と民に言われました。パウロが迫害に会い幽閉りされている身でありながら「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(ピリピ人への手紙4章4節)」と勧めているのはキリスト・イエスにある神の愛がどのようなものであるのかを確信していたからではないでしょうか(ローマ人への手紙8章35節ー39節)。ダビデは、さらに「あなたの救いを愛する人たちが、『主をあがめよう』と、いつも言いますように。」と願っています。あわれみ豊かな神は人類を罪や死、悪魔の支配から救うために御子イエス様を人としてこの世にお遣わしくださったのでした。ですからイエス様は祈る時「天にいます私たちの父よ。御名が崇められますように」と、まず、目線をこの世から第三の天に座しておられる神に向けるだけでなく、主の御名を崇めるように仰されたのではないでしょうか。今日の聖句が進めているように、どんな時にも主がどのような方であるかを忘れないで主を目の前に置いて生活しようではありませんか。
