遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。(イザヤ書46章9節)
1.ヨハネの福音書1章14節-18節及び29節
2.ヨハネの福音書3章16節ー18節
3.ローマ人への手紙5章6節ー11節
4.ヨハネの手紙第一4章7節ー12節
人はキリスト教という名のもとに宗教の一つと考えがちですが、宗教は神から発したものではなく、パウロが「あのむなしいだましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形を取って宿っています。(コロサイ人への手紙2章8節)」と語っているように、哲学の領域を脱することができないものではないでしょうか。パウロは「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなし区なり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と変えてしまいました。(ローマ人への手紙1章20節ー23節)」と、語っているように、この世の神々と言われるものは、天地万物を創造される力はないどころか、目があっても見えず、耳があっても聞こえず、足があっても歩くことができないばかりか人が世話をしなくてはならないような物であることを思うと、主が「遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。」と仰せられたように、私たちの神は天地万物を創造されただけでなく、私たちの全生涯の罪を赦すだけでなく、取り除くために御子イエス様を人としてこの世に遣わされ、イエス様を信じる者には永遠のいのちを、天国行きの切符を与えてくださり、神は愛であることをはっきり示されたのでした。宗教家ではなく信仰者として生きるために、信仰の創始者でり完成者であり、信仰がなくならないようにとりなして祈っていてくださる恵みとまことに満ちておられるキリストに生きるように心がけようではありませんか。
